参考文献
The Lewis Carroll Society
https://lewiscarrollsociety.org.uk/
日本ルイス・キャロル協会ホームページ
https://lcsj.sakura.ne.jp/
英国V&A博物館公式サイト
https://www.vam.ac.uk/articles/the-real-alice-in-wonderland
その他、作品の公式著者プロフィール
ルイス・キャロルの基本プロフィール
本名 | Charles Lutwidge Dodgson (チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン) *Charles Lutwidgeをラテン語名にし、それをまた英語名にしたのが ルイス・キャロルというペンネーム |
性別 | 男性 |
国籍 | イギリス |
うまれたのは? | 1832年1月17日 |
亡くなったのは? | 1898年1月14日 |
代表作 | 不思議の国のアリス |
ルイス・キャロルの年表(人生/作品) アリス・リデルも交え
西暦 | キャロルの 出来事 |
アリス・リデル Alice Liddell (アリスのモデル) |
作品 |
1832年 日本でいうと 幕末に近い時期 |
イングランドのチェシャ―にて 子だくさんの牧師の 息子として誕生。 |
||
20歳前後 |
オックスフォード大学に通う | 1952年5月、 アリス・リデルが リデル学寮長の 次女として誕生 フルネーム アリス・ プレザンス・リデル |
|
大学卒業後 |
教員として大学に残る 数学皇子として勤務。 |
4歳の頃、 父の知り合いである 当時20代半ばの ドッドソン(キャロル) と初めて会う |
|
1862年 (30歳ころ) |
この年の7月 リドル学寮長の3人娘 ■ロリーナ(12歳) ■アリス(当時10歳) ■イーディス(8歳) を連れてボート遊びへ。 その時、 次女アリスをモデルとする 「不思議の国のアリス」 原型を作り、 のちにそれを紙にしたためる。 |
ドッドソン(キャロル) に連れられ、日帰り旅に。 その道中で 自身をモデルとした アリスの物語を聞かされる |
|
1864年 |
この年の11月末、 アリス・リデルちゃんに 手作りのアリス本を プレゼント |
ドッドソン(キャロル) からアリスの物語の 手作り本をプレゼント される |
|
1865年 *この頃、 日本はまさに 幕末の動乱期 |
改題されて 大手出版社より ルイスキャロルの名で 「不思議の国のアリス」 の初版本発表。 その本が大ヒットを記録。 |
不思議の国のアリス | |
1871年 | アリスの続編童話作品発表 | 家族で休暇をとっている時 Julia Margaret Cameron という写真家に出会う。 以降、姉妹と共に この写真家の被写体に |
鏡の国のアリス |
1876年 | 叙事詩作品 「スナ―ク狩り」発表 |
スナ―ク狩り |
|
1880年 |
9月、 レジナルド・ハーグリーブス という男性と結婚。 そして アリス・ハーグリーブス を名乗り出し 子育て主婦に |
||
1885年 | もつれっ話 | ||
1880年代後半 |
初版から20年の時を経て 不思議の国のアリスを さらにちびっこ向けに 読みやすくした 「子供部屋のアリス」発表 |
子供部屋のアリス | |
1898年 | 1月に65歳で死去 (死因=肺炎) |
||
キャロルの死後 | |||
1903年 |
マクミラン社が 「不思議の国のアリス」 のカラー版を出版 |
||
第一次大戦時期 |
2人の子を戦争で亡くす | ||
1928年 |
経済的困窮に陥った中 ドッドソン(キャロル) から贈られた手作り本を オークションにかける (アメリカ人に高値で買われ、 貴重な原稿が英国から失われ 国内では批判される) |
||
1932年 | アメリカを訪問 |
||
1934年 |
11月16日に 82歳で死去 |
||
アリス・リデルの死後 | |||
1948年 |
戦後、 一度アメリカに流れた 貴重な原稿、 イギリスに返還される |
||
1953年 |
ウォルト・ディズニーによる 長編カラーアニメ映画 「ふしぎの国のアリス」 が公開。 |
サイドメニュー
まずはじめに(情報ソース) |
当サイトの掲載データはすべて、公式的ソース(自治体/団体/出版社公式HP等)と、当事者からの公式回答のみを情報源としています。Wikipedia/個人ブログをはじめとする非公式媒体からの不確かな情報は混じっていません。 (サイト内の多数のページが、マイクロソフトなどのAIに対するユーザからの質問の回答情報ソースとして活用されています。そういった背景もあり、正確な情報を提供する事に努めています) |
[サイト内検索]