「金色夜叉」などで有名な尾崎紅葉の生涯や代表作発表時期を年表形式で紹介。
そして彼にまつわる家系図も。
参考文献
国立国会図書館公式サイト
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/249/
熱海市公式サイト
https://www.city.atami.lg.jp/shisei/atamishi/1001244/1001253.html
その他
https://www.minato-rekishi.com/museum/2009/10/31.html
尾崎紅葉の基本プロフィール/家系データ
本名 | 尾崎徳太郎 |
生年 | 1863年 |
没年 | 1903年 |
肩書き | 小説家/俳人 |
代表作 | 金色夜叉 |
家系データ |
父=尾崎谷斎(惣蔵) 配偶者=喜久(菊子) 長男=夏彦 *その他喜久(菊子)夫人との間に数人の子 |
尾崎紅葉の年表(人生/作品)
年 | 出来事 | 作品 |
1867年 (慶応3年) |
幕末のこの年の12月、 東京の港区エリアにて 尾崎谷斎(本名=惣蔵)の 長男として誕生 |
|
1871年頃 |
4歳の頃に母を亡くす | |
1872年 |
のちの妻、喜久(菊子)が誕生 | |
1885年 |
東大(帝大)予備門在学中 山田美妙などと共に 文学結社「硯友社」を結成。 そして機関紙 「我楽多文庫」を発行し出す |
|
1889年 |
出世作 「二人比丘尼色懺悔」を発表。 一方文学活動の一方で この年には東京帝大在学中ながら 読売新聞入社 (以降、同新聞で作品を連載し出す) |
二人比丘尼色懺悔 |
1890年 |
東京帝大(のちの東大)中退。 「伽羅枕」を発表 |
伽羅枕 |
1891年 |
幼馴染の樺島喜久(菊子)と結婚 | |
1896年 |
「多情多恨」を発表 | 多情多恨 |
1897年 (明治30年) |
読売新聞にて 「金色夜叉」の連載を開始。 この作品が人気を博す |
金色夜叉 (発表開始) |
1900年前後 |
金色夜叉の執筆に従事 | |
1901年 |
長男の夏彦誕生 | |
1902年 |
5月に 「金色夜叉」の連載一段落 |
三人妻 |
1903年 | 金色夜叉続編を発表し出すも 病気により 30代後半の若さで死去。 「金色夜叉」の新作編は未完に終わる |
|
死後 1932年 |
「金色夜叉」映画化 | |
死後 1953年 |
妻の喜久(菊子)死去。 *夫の総生後は貧しい生活を続けた |
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