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- 葛飾北斎の人生/作品年表
黄表紙(挿絵入り小説)の挿絵作家・小説家・浮世絵師などとして江戸時代に活躍した葛飾北斎。
その人生を年表形式で簡単にわかりやすくコンパクトに紹介。
参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
すみだ北斎美術館公式サイト
https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/402
https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/401
葛飾北斎の年表
俊 | 出来事 | 作品 |
1760年 |
葛飾郡の中にある 江戸の隅田で誕生。 幼名は時太郎 |
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幼少期 |
6歳の頃から 絵を描き始める。 その後彫刻も習いだす。 |
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1778年 |
浮世絵師の勝川春章に弟子入りし、 勝川春朗を名乗り出す |
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1780年 | 当時流行していた 「黄表紙」 というジャンルの 都市営利小説の 挿絵作家として活動。 *その後挿絵作りだけでなく 自身作の黄表紙も 発表し出す |
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1790年前後 |
幕府による 「寛政の改革」により 黄表紙文化が衰退 |
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1792年 |
元師匠の勝川春章死去 | |
1794年 | 「宗理」を名乗りだす |
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1797年 |
関係の深い 出版プロデューサー 蔦屋重三郎が死去 |
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1798年 | 「宗理」から 「北斎辰政」へと改名 |
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1800年 | 狂歌絵本 「東都名所一覧」を発表 |
東都名所一覧 |
1800年代後半 (1805-1810頃) |
読本挿絵や肉筆画 の世界で活躍。 (主に滝沢馬琴とタッグ) またこの時期から 「葛飾北斎」という 画号を使い始める |
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1811年頃 |
この時期に盟友の 滝沢馬琴と絶縁 |
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1812年 |
名古屋に滞在し のちに発表する 北斎漫画の下絵を描く |
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1814年 | 画集「北斎漫画」を 発表し始める |
北斎漫画 |
1815年 |
「絵本 浄瑠璃絶句」 という絵本を 葛飾北斎名義で発表 |
絵本 浄瑠璃絶句 |
1817年 |
再び名古屋に滞在。 その他近畿地方を 旅したとされる |
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1821年 |
四女が早死に | |
1823年 | 川柳を詠む時に 「卍」 という号を使い始める |
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1823年 | 妻が死去 |
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1831年 70代前半 |
「冨嶽三十六景」 を発表し始める |
冨嶽三十六景 |
1833年 |
36景色+10景色から成る 「冨嶽三十六景」 が完成 |
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晩年 |
主に肉筆画を発表。 名義は "八十八老卍" "八十九歳卍" "九十老人卍" といったように 年をとるごとに毎年変動 |
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1849年 |
春に浅草にて 数え年90歳で死去。 (現在の年の数え方では 80代後半で死去) |
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