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- 滝沢馬琴(曲亭馬琴)の人生/作品年表
江戸時代を代表する小説家の1人で2025年のNHK大河主人公、
蔦屋重三郎との関係も深い滝沢馬琴(曲亭馬琴)は一体どんな人生を歩んできたかを年表形式でご紹介。
参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
千代田区観光協会 滝沢馬琴
https://visit-chiyoda.tokyo/app/history/detail/56
文京区公式サイト 滝沢馬琴墓(深光寺)
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/ato/takizawa.html
滝沢馬琴(曲亭馬琴/きょくていばきん)の基本プロフィール
いつ頃を生きた人? |
江戸時代中期から幕末にかけての人 |
本名 | 滝沢興邦 |
生年 | 1767年 |
没年 | 1848年 |
墓の場所 | 深光寺 (東京都文京区) |
作品ジャンル | 黄表紙 読本 |
代表作 |
南総里見八犬伝(1814-1842) 椿説弓張月(1807-1811) *通産作品数は通産作品数は200以上 |
滝沢馬琴(曲亭馬琴)の人生/作品年表
年 | 滝沢馬琴 | 社会の出来事/ 関連人物出来事 |
1767年 | 江戸の深川で誕生 (現在の江東区西部) |
|
1777年頃 |
幼くして家督を相続 | |
1780年頃 | 仕えた家から逃げ出す |
1780年代前半から 蔦屋重之助が プロデューサーとして 活躍し始める。 |
15代半ばから 20代前半 |
武家奉公を経験 | 1787年 老中・松平定信による 「寛政の改革」がはじまり、 黄表紙系プロデューサーの 蔦屋重三郎や関連作家が 創作活動の影響を受ける。 |
1790年 |
24歳の頃、 戯作を志し、 山東京伝の門下生に (山東京伝=有名作家) *この頃、当時の カリスマプロデューサー 蔦屋重三郎に発掘される |
|
1791年 |
大栄山人という ペンネームを使い 「尺用二分狂言」 という黄表紙作品を発表。 |
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1793年 | 蔦屋重三郎手がける 「ー笑府衿裂」発表 |
6年続いた 寛政の改革が一段落 |
1794年頃 |
年上女性と結婚して婿入り (その後、子供も誕生) |
|
1796年 |
黄表紙に逆風が吹く中 読本というジャンルを 開拓し始める |
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1797年 | 蔦屋重三郎が死去 |
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1805年 |
読本作家としての 実力を蓄えたのち 読み本「月氷奇縁」を発表 |
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1808年 | 「椿説弓張月」を 刊行し始める |
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1811年 |
椿説弓張月が完結 | |
1814年 |
最大の代表作 「南総里見八犬伝」を 発表し出す。 (その後、28年続く) |
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1842年 |
全106巻に及んだ伝奇小説 「南総里見八犬伝」完結。 *文京区公式サイト によると晩年に馬琴は 失明してしまったが 長男の妻に内容を口頭で伝え 代筆してもらう形で 八犬伝を完結させた。 |
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1848年 |
11月に80代前半で死去 | |
死後 |
1983年 薬師丸ひろ子主演 「里美八犬伝」が公開 |
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