賞の名前で有名な文豪・芥川龍之介の生涯・代表作品を年表形式で紹介。
参考文献
Amazon著者プロフィール
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B003UW35MK/about
新宿区区立図書館公式サイト
https://www.library.shinjuku.tokyo.jp/
国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/224/
東京大学沿革
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/history/b03_01.html
毎日新聞公式サイト
芥川龍之介の基本プロフィール
出身 | 東京 |
生年 | 1892年(明治25年)3月1日 |
没年 | 1927年(昭和2年) |
代表作 | 羅生門 鼻 蜘蛛の糸 |
全盛期は? |
1910年代後半 (大正時代) |
家系 |
父=新原敏三 母=フク 養父=芥川道章(フクの兄) 息子=芥川比呂志/也寸志 |
墓の場所 |
慈眼寺(東京都豊島区) |
芥川龍之介の年表(人生/作品)
俊 |
出来事 | 作品 |
1892年 (明治25年) |
当時の京橋区にて (現在の中央区南部) 新原敏三の長身として誕生 |
|
幼い頃/ 少年時代 |
芥川家出身の母が 生後間もなく病に侵され 墨田区の芥川家で養育される (もともとは伯父だった 芥川道章の養子扱いに) 小学校= 江東尋常小(現両国小学校) 中学校= 東京府立第三中学校 (現在の両国高校/附属中) |
|
1913年 |
秋に東京帝国大学へ入学 (現在の東京大学) |
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1915年 (大正4年) |
大学在学中のこの年、 夏目漱石の門下生に |
羅生門 |
1916年 |
「鼻」が漱石に高く評価される。 東京帝国大学の英文科を卒業すると 海軍機関学校の教官として 英語を教え始める |
鼻 芋粥 |
1918年 |
短編小説「蜘蛛の糸」を 発表するなど精力的に活動 |
蜘蛛の糸 地獄変 枯野抄 |
1919年 教員から 新聞社員に |
海軍機関学校を退職。 大阪毎日新聞社のスタッフに |
蜜柑 |
1920年 | 舞踏会 |
|
1921年 (細かい時期不明) |
大阪毎日新聞社の社員として 中国へ渡り上海取材などを行った。 |
|
1922年 | 健康問題に狂いが生じ始め 作家としても勢いが落ちる |
藪の中 神神の微笑 |
1923年 | 「侏儒の言葉」の連載開始。 1925年まで続く。 |
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1925年 | この頃から体調が悪化 |
|
1927年 (昭和2年) |
晩年は精神面に苦しみ この年の7月に服毒自殺。 享年35歳 |
河童 [主な遺稿] 或阿呆の一生 歯車 |
死後 1935年 |
純文学系の省 「芥川賞」が創設される |
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