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- 日本の歴代元号/年号一覧・早見表
日本独自の元号というものがではた大化の改新の時期から現代までの元号(年号)一覧。
奈良時代/飛鳥時代の元号一覧
元号 (読み方) |
時期 | 出来事 |
飛鳥時代 | ||
大化 (たいか) |
645.6- 650.2 |
645年、大化の改新 |
白雉 (はくち) |
650-654 | |
朱鳥 (しゅちょう) |
686 | 朱鳥時代が終わると しばらく元号は使用されず *694年藤原京(奈良県橿原市)遷都 |
大宝 (たいほう) |
701-704 | 701年、法令集「大宝律令」完成 |
慶雲 (けいうん) |
704-708 | |
飛鳥/奈良時代 | ||
和銅 (わどう) |
708-715 | 710年、平城京(奈良市)に遷都。 711年9月、当時の元明天皇は 太安万侶に「古事記」の編纂を命じる。 712年1月、太安万侶わずか4カ月で 「古事記」を元明天皇に献上。 |
奈良時代 | ||
霊亀 (れいき) |
715-717 | |
養老 (ようろう) |
717-724 | 720年、「日本書紀」が完成 |
神亀 (じんき) |
724-729 | |
天平 (てんぴょう) |
729-749 | 740年、当時の聖武天皇 「恭仁京(京都府木津川市)」に遷都。 木津川市=奈良市の北隣。 *743年、「墾田永年私財法」発布 *745年、都が平城京に戻る *747年、東大寺の大仏が作られ始める |
天平感宝 (かんぽう) |
749年 4月から7月 |
|
天平勝宝 (しょうほう) |
749年7月から 757年8月 |
752年頃、東大寺の大仏完成 |
天平宝字 (ほうじ) |
757年8月から 765年1月 |
|
天平神護 (じんご) |
765年1月から 767年8月 |
|
神護景雲 (じんごけいうん) |
767年8月から 770年10月 |
|
宝亀 (ほうき) |
770年10月から 781年元旦 |
|
天応 (てんおう) |
781年元旦から 782年8月 |
|
奈良時代/長岡京時代(784-794)/平安時代(794-) | ||
延暦 (えんりゃく) |
782年8月から 806年5月 |
■784年、奈良から 長岡京(京都府日向市あたり)遷都 |
平安時代(約400年)の元号一覧
元号 該当西暦 |
読み方 (簡単な場合は省略) |
主な出来事 |
782-806 延暦 |
794年、京都市付近の長岡京から 平安京(京都市)に都が移される |
|
806-810 大同 |
||
810-824 弘仁 |
||
824-834 天長 |
||
834-848 承和 |
||
848-851 嘉祥 |
||
851-854 仁寿 |
||
854-857 斉衡 |
さいごう | |
857-859 天安 |
||
859-877 貞観 |
じょうかん | |
877-885 元慶 |
がんぎょう | |
885-889 仁和 |
||
889-898 寛平 |
かんぴょう | |
898-901 昌泰 |
しょぅたい | |
901-923 延喜 |
えんぎ | 903年、 菅原道真、無念の死 |
923-931 延長 |
929年、 藤原兼家誕生 |
|
931-938 承平 |
じょうへい | |
938-947 天慶 |
てんぎょう | |
947-957 天暦 |
てんりゃく | |
957-961 天徳 |
||
961-964 応和 |
||
964-968 康保 |
こうほう | 966年、 平安中期の政界の要人、 藤原道長誕生 |
968-970 安和 |
あんな | |
970-974 天禄 |
この頃に紫式部誕生 | |
974-976 天延 |
||
967-979 貞元 |
じょうげん | |
979-983 天元 |
||
983-985 永観 |
||
985-987 寛和 |
かんな | 986年、 藤原一族の陰謀により 花山天皇が騙されて 天皇の座を離れてしまう |
987-989 永延 |
||
989-990 永祚 |
えいそ | |
990-995 正暦 |
990年、兼家死去。 権力が長男道隆に |
|
995-999 長徳 |
995年、 道隆と弟・道兼が死んで 道長が政治のトップに 清少納言が枕草子執筆 |
|
999-1004 長保 |
1001年頃、 紫式部が源氏物語を 書き始める |
|
1004-1013 寛弘 |
かんこう | 1005年、紫式部が 宮仕えをスタート。 |
1013-1017 長和 |
||
1017-1021 寛仁 |
かんにん | |
1021-1024 治安 |
じあん | |
1024-1028 万寿 |
||
1028-1037 長元 |
||
1037-1040 長暦 |
||
1040-1044 長久 |
||
1044-1046 寛徳 |
||
1046-1053 永承 |
えいしょう | |
1053-1058 天喜 |
てんぎ | |
1058-1065 康平 |
こうへい | |
1065-1069 治暦 |
1068年、藤原氏を 外戚としない天皇が 150年以上ぶりに誕生。 藤原摂関政治、終焉 |
|
1069-1074 延久 |
1072年、 即位した白河天皇が 「院政」をはじめる |
|
1074-1077 承保 |
じょうほう | |
1077-1081 承暦 |
じょうりゃく | |
1081-1084 永保 |
||
1084-1087 応徳 |
||
1087-1095 寛治 |
||
1095-1097 嘉保 |
かほう | |
1097-1098 永長 |
||
1098-1099 承徳 |
||
1099-1104 康和 |
||
1104-1106 長治 |
||
1106-1108 嘉承 |
||
1108-1110 天仁 |
||
1110-1113 天永 |
||
1113-1118 永久 |
||
1118-1120 元永 |
||
1120-1124 保安 |
||
1124-1126 天治 |
てんじ | |
1126-1131 大治 |
だいじ | |
1131-1132 天承 |
||
1132-1135 長承 |
||
1135-1141 保延 |
||
1141-1142 永治 |
||
1142-1144 康治 |
||
1144-1145 天養 |
||
1145-1151 久安 |
きゅうあん | |
1151-1154 仁平 |
にんぴょう | |
1154-1156 久寿 |
きゅうじゅ | |
1156-1159 保元 |
1156年、 保元の乱起こる |
|
1159-1160 平治 |
||
1160-1161 永暦 |
えいりゃく |
|
1161-1163 応保 |
||
1163-1165 長寛 |
||
1165-1166 永万 |
||
1166-1169 仁安 |
にんあん | |
1169-1171 嘉応 |
||
1171-1175 承安 |
じょうあん | |
1175-1177 安元 |
||
1177-1181 治承 |
じしょう | |
1181-1182 養和 |
||
1182-1184 寿永 |
||
1184-1185 元暦 |
鎌倉時代の元号一覧
元号名 (読み方) |
時期 | 主な出来事 |
文治 (ぶんじ) |
1185年8月から 1190年4月 |
1185年、鎌倉幕府が成立 |
建久 (けんきゅう) |
1190年4月から 1199年4月 |
1192年、 源頼朝が征夷大将軍に 任命される。 1199年1月、頼朝死去 |
正治 (しょうじ) |
1199年4月 1201年2月 |
|
建仁 (けんにん) |
1201年2月から 1204年2月 |
1202年、頼朝の長男である 頼家が2代目将軍に。 1203年、頼朝の次男である 実朝が3代目将軍に。 同年、北条政子の父である 北条時政が初代執権就任。 (時政は3代目将軍の祖父) |
元久 (げんきゅう) |
1204年2月から 1206年4月 |
1205年、 北条義時が2代目執権就任 |
建永 (けんえい) |
1206年4月から 1207年10月 |
|
承元 (じょうげん) (しょうげん) |
1207年10月から 1211年3月 |
|
建暦 (けんりゃく) |
1211年3月から 1213年12月 |
|
建保 (けんぽう) |
1213年12月から 1219年4月 |
1919年正月、 実朝が暗殺される。 |
承久 (じょうきゅう) |
1219年4月から 1222年4月 |
1221年、 当時の後鳥羽上皇らが 「承久の乱」を起こす。 (倒幕に動いたが逆に大敗) |
貞応 (じょうおう) |
1222年4月から 1224年11月 |
1224年6月、 2代目執権の 北条義時が亡くなり 長男の泰時が3代目室兼に |
元仁 (げんにん) |
1224年11月から 1225年4月 |
|
嘉禄 (かろく) |
1225年4月から 1227年12月 |
1226年、 頼朝の姪の子孫である 藤原家出身の九条頼経が お飾りの4代目将軍に |
安貞 (あんてい) |
1227年12月から 1229年3月 |
|
寛喜 (かんぎ) (かんき) |
1229年3月から 1232年4月 |
|
貞永 (じょうえい) |
1232年4月から 1233年4月 |
1232年7月、 「御成敗式目」制定 |
天福 (てんぷく) |
1233年4月から 1234年11月 |
|
文暦 (ぶんりゃく) |
1234年11月から 1235年9月 |
1235年5月27日、 藤原定家が小倉百人一首を 完成させる。 |
嘉禎 (かてい) |
1235年9月から 1238年11月 |
|
暦仁 (りゃくにん) |
1238年11月から 1239年2月 |
|
延応 (えんおう) |
1239年2月から 1240年7月 |
|
仁治 (にんじ) |
1240年7月から 1243年2月 |
1242年、3代目執権の 泰時が亡くなり、 孫の経時が4代目執権就任 |
寛元 (かんげん) |
1243年2月から 1247年2月 |
1244年、九条頼嗣が 5代目将軍就任 (4代目の長男) 1246年、経時の弟である 北条時頼が5代目執権に。 |
宝治 (ほうじ) |
1247年2月から 1249年3月 |
|
建長 (けんちょう) |
1249年3月から 1256年10月 |
1252年、 御嵯峨天皇の息子である 宗尊親王が6代目将軍に |
康元 (こうげん) |
1256年10月から 1257年3月 |
1256年11月、 北条長時が6代目執権就任 |
正嘉 (しょうか) |
1257年3月から 1259年3月 |
|
正元 (しょうげん) |
1259年3月から 1260年4月 |
|
文応 (ぶんおう) |
1260年4月から 1261年2月 |
|
弘長 (こうちょう) |
1261年2月から 1264年2月 |
|
文永 (ぶんえい) |
1264年2月から 1275年4月 |
1264年8月、 病気で辞任した6代目に替わり 北条政村が7代目執権氏就任。 1266年、宗尊親王の子 惟康親王が7代目将軍に 1268年、北条時宗が 8代目執権就任 |
建治 (けんじ) |
1275年4月から 1278年2月末 |
|
弘安 (こうあん) |
1278年2月末(3月初め) から 1288年4月 |
1284年、北条時宗の息子である 北条貞時が9代目執権就任 |
正応 (しょうおう) |
1288年4月から 1293年8月 |
1289年、 後深草天皇の子、 久明親王が8代目将軍に |
永仁 (えいにん) |
1293年8月から 1299年4月 |
|
正安 (しょうあん) |
1299年4月から 1302年11月 |
1301年、9代目執権のいとこ 北条師時が10代目執権就任 |
乾元 (けんげん) |
1302年11月から 1303年8月 |
|
嘉元 (かげん) |
1303年8月から 1306年12月 |
|
徳治 (とくじ) |
1306年12月から 1308年10月 |
1308年8月、 8代目の息子・守邦親王が 9代目将軍に |
延慶 (えんけい) (えんきょう) |
1308年10月から 1311年4月 |
|
応長 (おうちょう) |
1311年4月から 1312年3月 |
1311年11月、 北条宗宣(大仏宗宣)が11代目執権に |
正和 (しょうわ) 近代の 「昭和」と 同じ発音 |
1312年3月から 1317年2月 |
1312年、北条煕時が 12代目執権就任。 (何月就任かはわからず、 応長時代に就任した可能性もあり) 1315年、北条基時が 13代目執権就任 1316年、北条高時が 14代目執権就任 |
文保 (ぶんぽう) |
1317年2月から 1319年4月 |
|
元応 (げんおう) |
1319年4月から 1321年2月 |
|
元亨 (げんこう) |
1321年2月から 1324年12月 |
|
正中 (しょうちゅう) |
1324年12月から 1326年4月 |
1326年3月、 北条貞顕(金沢貞顕)が 15代目執権に就任するも 10日ほどで出家/退任。 |
嘉暦 (かりゃく) |
1326年4月から 1329年8月 |
1326年4月、北条守時(赤橋守時)が 16代目執権就任。 (最後の執権) |
元徳 (げんとく) |
1329年8月から 1331年8月 |
|
元弘 (げんこう) 南朝の元号 |
1331年8月から 1334年1月 |
1333年、鎌倉幕府滅亡。 滅亡と共に9代目退任 |
鎌倉時代の将軍一覧(途中からはお飾り/権力)
右側の数字は在任期間- 源頼朝 1192-1199・・・・・妻は北条政子
- 源頼朝 1202-1203
- 源実朝 1203-1219・・・・・・1219年以降の数年間は北条政子が実質的な4代目将軍
- 九条頼経 1226-1244・・・・・頼朝の遠い子孫
- 九条頼嗣 1244-1252
- 宗尊親王 1252-1266
- 惟康親王 1266-1289
- 久明親王 1289-1308
- 守邦親王 1308-1333
鎌倉時代の執権一覧(実質的な政界トップ)
- 北条時政 1203-1205・・・・北条政子のちち
- 北条義時 1205-1224・・・・北条政子の兄弟
- 北条泰時 1224-1242
- 北条経時 1242-1246
- 北条時頼 1246-1256
- 北条長時 1256-1264
- 北条政村 1264-1268
- 北条時宗 1268-1284
- 北条貞時 1284-1301
- 北条師時 1301-1311
- 北条宗宣(大仏宗宣) 1311-1312
- 北条煕時 1312-1315
- 北条基時 1315-1316
- 北条高時 1316-1326
- 北条貞顕(金沢貞顕) 1326-1326
- 北条守時(赤橋守時) 1326-1333
- ▲北条貞将(金沢貞将) 1333・・・・・在任1日間のため17代目に数えられない場合あり
室町時代/戦国時代/安土桃山時代の元号一覧
マイナーな北朝元号は省略元号 (読み方) |
時期 | 主な出来事 |
室町時代(南北朝時代の南朝元号) | ||
延元 (えんげん) |
1336年2月から 1340年4月 |
1336年、後醍醐が 奈良の吉野で南朝をひらき 朝廷が南北に分裂 (南北朝時代のはじまり) 1338年、足利尊氏が 室町幕府の初代将軍に就任 |
興国 (こうこく) |
1340年4月から 1346年12月 |
|
正平 (しょうへい) |
1346年12月から 1370年7月 |
この時期、 京都の「北朝」側の 元号はコロコロ変動 1358年、尊氏死去。 1359年、尊氏の子である 足利義詮が2代目将軍になる。 1368年、のちに 南北朝統一に貢献する 3代目将軍義満就任 (2代目将軍の息子) |
建徳 (けんとく) |
1370年7月から 1372年4月 |
|
文中 (ぶんちゅう) |
1372年4月から 1375年5月 |
|
天授 (てんじゅ) |
1375年5月から 1381年2月 |
|
弘和 (こうわ) |
1381年2月から 1384年4月 |
|
元中 (がんちゅう) (げんちゅう) |
1384年4月から 1392年閏10月 |
1392年、南北朝統一 |
▲明徳 (北朝元号) |
1393.1からの 約1年半 |
|
室町時代(南北朝統一) | ||
応永 (おうえい) |
1394年7月から 1428年4月 |
1394年、義満が将軍の座を 息子の義持に譲り、 自らは太政大臣に。 (4代目将軍・義持誕生) 1395年、義満は太政大臣を辞して出家し、 1397年に鹿苑寺・金閣を建立。 |
正長 (しょうちょう) |
1428年4月から 1429年9月 |
|
永享 (えいきょう) |
1429年9月から 1441年2月 |
|
嘉吉 (かきつ) |
1441年2月から 1444年2月 |
|
文安 (ぶんあん) |
1444年2月から 1449年7月 |
1449年4月、 慈照寺銀閣で有名な 8代目・義政が就任。 |
宝徳 (ほうとく) |
1449年7月から 1452年7月 |
|
享徳 (きょうとく) |
1452年7月から 1455年7月 |
|
康正 (こうしょう) |
1455年7月から 1457年9月 |
|
長禄 (ちょうろく) |
1457年9月から 1460年12月 |
|
寛正 (かんしょう) |
1460年12月から 1466年2月 |
|
文正 (ぶんしょう) |
1466年2月から 1467年3月 |
|
戦国時代 | ||
応仁 (おうにん) |
1467年3月から 1469年4月 |
応仁元年に 「応仁の乱」がはじまる。 (10年間続く) |
文明 (ぶんめい) |
1469年4月から 1487年7月 |
1477年秋、 応仁の乱が収束 |
長享 (ちょうきょう) |
1487年7月から 1489年8月 |
|
延徳 (えんとく) |
1489年8月から 1492年7月 |
延徳、足利義政が 鹿苑寺・銀閣を建立。 |
明応 (めいおう) |
1492年7月から 1501年2月末 |
|
文亀 (ぶんき) |
1501年2月末 (3月初め)から 1504年2月末 |
|
永正 (えいしょう) |
1504年2月末 (3月初め)から 1521年8月 |
|
大永 (だいえい) |
1521年8月から 1528年8月 |
1528年頃、明智光秀誕生。 (信長よりだいぶ年上) |
享禄 (きょうろく) |
1528年8月から 1532年7月 |
|
天文 (てんぶん) |
1532年7月から 1555年10月 |
1534年、織田信長が誕生。 1536年、のちの豊臣秀吉誕生。 |
弘治 (こうじ) |
1555年10月から 1558年2月末 |
|
永禄 (えいろく) |
1558年2月から 1570年4月 |
1560年、桶狭間の戦いが起こる。 1568年、織田信長の擁立で 足利義昭が15代目将軍就任。 |
元亀 (げんき) |
1570年4月から 1573年7月 |
1573年、信長を倒そうとした 15代将軍義昭が 信長に追放され室町幕府滅亡 |
戦国時代/安土桃山時代 | ||
天正 (てんしょう) |
1573年7月から 1592年12月 |
織田信長を主役とする 安土桃山時代へ移行。 その信長は1582年、 明智光秀によるものとされる 「本能寺の変」で死去。 (その光秀は直後に死亡し、 天下は長く続かず) |
文禄 (ぶんろく) |
1592年12月から 1596年10月 |
1585年、明智光秀などを倒した 豊臣秀吉が関白就任。 翌1586年には太政大臣に。 |
安土桃山時代/江戸時代 | ||
慶長 (けいちょう) |
1596年10月から 1615年7月 |
1598年、秀吉死去。 1600年、 「関ヶ原の戦い」がおこる。 1603年、徳川家康が 現在の東京で江戸幕府をひらく |
室町時代の幕府将軍一覧
- 足利尊氏
- 足利義詮
- 足利義満
- 足利義持
- 足利義量
- 足利義教
- 足利義勝
- 足利義政
- 足利義尚
- 足利義材
- 足利義澄
- 足利義晴
- 足利義輝
- 足利義栄
- 足利義昭
江戸時代真元号一覧
元号(年号)/読み方 | 時期 | 出来事 |
慶長 けいちょう |
1596年10月から 1615年7月 |
関ヶ原の戦いに勝利したのち、 征夷大将軍となった家康が 江戸で幕府を開く |
元和 げんな |
1615年7月から |
1616年、家康死去 |
寛永 かんえい |
1624年2月から 1644年12月 |
参勤交代がはじまる
|
正保 しょうほう |
1644年12月から 1648年2月 |
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慶安 けいあん |
1648年2月から 1652年9月 |
|
承応 しょうおう |
1652年9月から 1655年4月 |
|
明暦 めいれき |
1655年4月から 1658年7月 |
明暦の大火
|
万治 まんじ |
1658年7月から 1661年4月 |
|
寛文 かんぶん |
1661年4月から 1673年9月 |
|
延宝 えんぽう |
1673年9月から 1681年9月 |
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天和 てんな |
1681年9月から 1684年2月 |
生類憐みの令 |
貞享 じょうきょう |
1684年2月から 1688年9月 |
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元禄 げんろく |
1688年9月から 1704年3月 |
元禄文化の広まり
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宝永 ほうえい |
1704年3月から 1711年4月 |
綱生類憐みの令が廃止 |
正徳 しょうとく |
1711年4月から 1716年6月 |
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享保 きょうほう |
1716年6月から 1736年4月 |
享保の改革 |
元文 げんぶん |
1736年4月から 1741年2月 |
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寛保 かんぽう |
1741年2月から 1744年2月 |
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延享 えんきょう |
1744年2月から 1748年7月 |
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寛延 かんえん |
1748年7月から 1751年10月 |
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宝暦 ほうれき |
1751年10月から 1764年6月 |
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明和 めいわ |
1764年6月から 1772年11月 |
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安永 あんえい |
1772年11月から 1781年4月 |
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天明 てんめい |
1781年4月から 1789年1月 |
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寛政 かんせい |
1789年1月から 1801年2月 |
寛政の改革 |
享和 きょうわ |
1801年2月から 1804年2月 |
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文化 ぶんか |
1804年2月から 1818年4月 |
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文政 ぶんせい |
1818年4月から 1830年12月 |
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天保 てんぽう |
1830年12月から 1844年12月 |
天保の改革 |
弘化 こうか |
1844年12月から 1848年2月 |
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嘉永 かえい |
1848年2月から 1854年11月 |
黒船来航
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安政 あんせい |
1854年11月から 1860年3月 |
安政の大獄
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万延 まんえん |
1860年3月から 1861年2月 |
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文久 ぶんきゅう |
1861年2月から 1864年2月 |
1863年、京都で新撰組結成 |
元治 げんじ |
1864年2月から 1865年4月 |
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慶応 けいおう |
1865年4月から 1868年9月 |
大政奉還
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