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2024年春に放送がスタートしたNHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公
猪爪寅子(いのつめ・ともこ)のモデルである三淵嘉子の人生/経歴を年表形式でわかりやすく紹介。
三淵嘉子の経歴・プロフィール(年表形式)
参考文献
明治大学公式サイト
https://www.meiji.ac.jp/history/meidai_sanmyaku/thema/article/mkmht0000002myit.html
NHK公式サイト
https://www.nhk.jp/p/toranitsubasa/ts/LG372WKPVV/
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480374.html
小田原市公式サイト
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/spot/kankansou.html
年 当時の年齢 |
三淵嘉子関連 の出来事 |
社会全体の出来事/ 時代背景 |
1914年 (大正3年) |
11月13日、 武藤信子と 武藤家に婿入りした 貞雄(旧姓宮武) の長女として 父が働いていた シンガポールで生まれる *父はグローバルに 活動する銀行マンだった *嘉子という名前の「嘉」は 出生地であるシンガポールを 漢字表記した際の 「新嘉坡」に由来 |
嘉子が生まれる4カ月前、 7月に第一次大戦勃発 |
1916年 |
父がNY移動となり、 母・信子と共に帰国。 母の実家がある 香川の丸亀で暮らしだす。 |
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1918年 | 第一次大戦が終結 |
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1920年 |
父・貞雄が帰国し、 父母と共に今度は 東京で暮らしだす。 *父から 「普通のお嫁にはなるな」 「専門知識を身につけろ」 と言われて育つ |
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1921年 |
青山師範学校附属小学校入学 | |
1926年 (大正15年/ 昭和元年) |
12月25日、 大正時代から昭和時代へ移行 |
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1929年 |
明治大学専門部女子部法科 が創設される。 世界恐慌が起こる |
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1932年 | お茶の水女子大 付属高校を卒業。 法律を勉強する事を決意。 4月、 明治大学専門部女子部の 法科に進む(4期生)。 |
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1933年 | 弁護士法が改正され、 女性が弁護士になる事 が法律で認められる |
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1935年 |
明治大学専門部女子部を卒業。 明治大学法学部に編入 |
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1938年 3月 |
明治大学法学部を卒業 | |
1938年 11月 24歳 |
同学年の中田正子、 1学年下の久米愛と共に 高等文官試験司法科に合格。 (女性初の出来事) その後、 第二東京弁護士会での 長い補習生活が始まる |
11月、嘉子など 女性弁護士(の卵)が 誕生した事が話題に。 一方でまだこの時代では 女子は弁護士にはなれても 裁判官/検事にはなれなかった 具体的には 「帝国男子に限る」 という差別的制限があった |
1939年 |
補習生活に従事 | 8月、 ドイツのポーランド侵攻により 第二次世界大戦が勃発 |
1940年 弁護士に |
6月、1年半に渡った 補習生活が修了し、 弁護士登録を済ませる。 しかし仕事がなくて ほとんど弁護士活動ができず。 翌7月に母校である 女子部法科の助手に。 |
戦争の影響で 民事事件の数が大きく減少。 (弁護士たちには向かい風) |
1941年 27歳 結婚 |
11月、実家に書生として 出入りしていた 和田芳夫と結婚。 |
12月、日本の真珠湾攻撃により 戦争の規模が拡大。 |
1943年 子供が誕生 |
1月、第一子/長男の 芳武が誕生。 |
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1944年 30歳 |
助手を経て 女子部法科の助教授に。 一方で私生活差では 6月に夫の芳夫が 戦争に召集されてしまう |
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1945年 |
夫が日本軍に召集されている中 息子と共に空襲の中を 生き延びる日々が送るが 8月に戦争が終わる (夫は戦争を生き抜いた) |
第二次世界大戦終結。 日本は敗戦国となり、 アメリカ支配がはじまる |
1946年 夫を失う |
戦争を生き抜いた夫ながら 上海から戻ってくる途中の5月、 九州の長崎で病死。 若くして未亡人に。 |
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1947年 弁護士から 裁判官へ |
幼い息子を一人で 養っていく必要がある中、 3月、司法省に 裁判官採用願を提出。 6月、司法省民事部入り。 *法の世界の中では弁護士より 裁判官が一番合っていると もともと感じていた中で 転身を決意 一方で秋には 明治女子専門学校教授に就任 |
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1949年 |
6月、 東京地裁民事部の 判事補に任用される。 *約半年の アメリカ視察も経験 |
中華人民共和国が成立 |
1951年 |
4月、 明治大学短期大学 兼任教授就任 |
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1952年 初の 女性判事に |
12月、名古屋地裁に移動し 女性初の判事に。 (判事=裁判官の官名の1つ) |
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1956年 再婚して 三淵姓に |
8月、 最高裁調査官であった 三淵乾太郎と再婚。 これにより和田姓から 名前が「三淵嘉子」に。 *再婚相手の乾太郎も 配偶者を亡くし 子をもつ境遇であった |
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1965年 |
明治大学短期大学の 兼任講師となる (1972年まで継続) |
1960年代、 日本は高度経済成長期を迎える。 そんな中、日本では 少年事件が増加。 |
1972年 女性初の 裁判所所長に |
6月、 新潟家裁の所長就任 |
勤労婦人福祉法施行 (雇用機会均等法の前身) 中国との国交が正常化 |
1973年 |
11月、埼玉の 浦和家裁所長に。 |
第一次オイルショック |
1978年 |
1月、浦和家裁所長を経て 横浜家裁所長就任 |
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1979年 引退 |
11月13日、 65歳を迎えて定年退官。 |
第二次オイルショック |
1984年 死去 |
5月に69歳で死去。 | |
1986年 |
「男女雇用機会均等法」施行 |
三淵嘉子の功績/偉業とは?(何をした人か?)
- 日本ではじめて女性として司法試験に合格。女性弁護士の草分け的存在に
- 弁護士を経て女性裁判官として活躍(女性に対して裁判官という職種の門戸をひらいた)
- 日本語の日本における男女平等化に法律面で広く貢献
- 家庭裁判所勤務時代にたくさんの少年少女と接し、彼ら・彼女らの更生に貢献
- 指導者としても継続的に活動し、法の世界の若手育成に貢献
女性の地位向上が進む中、2024年春・朝ドラ主人公のモデルに。
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