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- 蔦屋重三郎の家系図/人生年表(どんな人?)
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主役モデルとして話題、
江戸時代の敏腕出版プロデューサー、蔦屋重三郎にまつわる家系図と人生年表。
参考文献
https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/bunkasien/torikumi/edtaito/tsutajukouen.html
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=40145
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/dj-nihonshi/djn20230618_03.html
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc15/jidai/bunka/bu1_a.html
蔦屋重三郎の家系図(祖先/子孫)
丸山重助 じゅうすけ |
重三郎の父。 現在の愛知にあたる尾張の出身。 江戸の吉原でビジネスをしていたが そのビジネスがうまくいかない中、重三郎が七歳の頃に津与と離婚。 その後、津与同様、重三郎と離れ離れに。 |
津与 (広瀬津与) |
重三郎の母。 こちらは江戸出身。 重三郎が7歳の頃に離婚し、子供と離れ離れに |
蔦屋重三郎 読み方 つたや・ じゅうざぶろう 本名 喜多川珂理 通称 蔦重 |
1750年生まれ。 遊郭として有名な新吉原出身。 (現在の台東区千束) 幼少期に両親と生き別れ、 「蔦屋」という引手茶屋を営む喜多川家の養子に。 (引手茶屋とは吉原で働く遊女と客の待ち合わせ場所) 江戸時代に流行った貸本業からビジネスを開始。 その後、本の編集に関わり始めて 「耕書堂」を開業。 喜多川歌麻呂・葛飾北斎・十返舎一九といった人物を産み出し、 「江戸の出版王」と称されるほどの存在に。 1797年死去 |
重三郎の妻 (名前不明) |
妻に関する詳しい事はわかっていない |
*2025年の大河にて「妻」の"てい(仮名)"という女性を演じるのは橋本愛さん
重三郎の子 (男児) |
詳しい人物像不明。 蔦重に子供がいる事は判明済み。 しかしその子供(息子)が「耕書堂」を継ぐ事はなく、 勇助という他人が後継者となり、 勇助が「2代目蔦重を名乗り出した」 |
2代目 蔦屋重三郎 (勇助) 蔦重との 血縁関係なし |
初代・重三郎が吉原大門近くで始めた店 「耕書堂」の後継者(番頭)。 番頭として務めたのち「2代目・蔦屋重三郎」を襲名。 初代同様に出版プロデューサーとして活躍。 葛飾北斎をスターへと育て上げた |

妻にまつわる公式文献はなし。
書店チェーンTSUTAYAとの関係は?
TSUTAYAチェーンの創業者として知られる増田宗昭氏の祖父による
事業の屋号が「蔦屋」で、それがTSUTAYAのというチェーン名の由来に。
(増田氏の祖父は蔦屋重三郎に影響を受けて「蔦屋」という屋号で事業を行っていた)
蔦屋重三郎の人生年表(当時の出来事も込み)
西暦 | 重三郎の人生 | 社会背景 関連人物の出来事 |
1750年 |
江戸の新吉原で誕生。 | |
1753年頃 | のちの喜多川歌麿誕生 |
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1557年頃 |
両親が離婚。 生き別れになり、 喜多川家に養子入り |
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1758年 | のちの老中・ 松平定信誕生。 (8代目将軍の孫) |
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1760年 | 葛飾北斎誕生。 9代目の長男である 徳川家治が 10代目将軍就任。 |
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1765年 | 十返舎一九が 静岡で誕生 |
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1572年 | 田沼意次が老中に |
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1573年頃 |
義理の兄の店を間借りし 書店/貸本業「耕書堂」を開業。 『一目千本』という売らない本が話題に。 |
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1575年 |
書店業から発展し 出版をてがけはじめる。 |
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1576年前後 |
序文にあの平賀源内を起用し、 吉原の遊郭案内冊子 「吉原細見」を販売しはじめる。 (販売開始時期は複数の説あり) |
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1583年 | 日本橋通油町へ進出。 またガイドブック 「吉原細見」の独占出版権利を得る。 |
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1584年 |
無名だった喜多川歌麿を発掘し 付き合いが始まる。 |
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1787年 | 徳川家斉が 11代目将軍就任。 その家斉から 老中に起用された 松平定信による 「寛政の改革」はじまる。 1793年まで続く |
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1788年 | 田沼意次が死去 | |
1791年 | 寛政の改革に関連し、 財産没収処置を受ける |
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1794年 | 謎多き絵師・東洲斎写楽 と組んで彼を売り出す。 静岡から江戸に来た 十返舎一九の面倒をみだす。 (一九が重三郎の家に 居候しはじめる) |
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1797年 | 40代後半で死去 | |
1802年 | 重三郎によって 発掘された十返舎一九、 「東海道中膝栗毛」 を発行し始める。 |
簡単に言うとどんな人か?
現代で活躍する出版業界人に例えると、
幻冬舎を一人で立ち上げ、天才的な経営センスで沢山のベストセラー本を輩出してきた見城徹氏などに近い存在。
(有名人の本をヒットさせただけでなく無名の人の本もヒットさせてきた)
もしくは、その見城徹氏の師匠である角川春樹氏あたり。
また音楽界に例えれば、素人時代の桜井和寿・AKKO・藤巻良太・Salyuなどの才能を見抜き、発掘して彼らを育て上げた音楽プロデューサー・小林武史あたりに近い存在。
(小室哲哉は既に売れている人のプロデュースを依頼されて曲をてがけていたタイプのため少し違う)
NHK「べらぼう」関連メニュー
登場関連人物の家系図
蔦屋重三郎
田沼意次・意知(親子)
松平武元
徳川吉宗/家重/家治(8-10代将軍)
人生・作品年表
山東京伝
滝沢馬琴(曲亭馬琴)
葛飾北斎
十返舎一九
関連用語
草双紙の種類(黄表紙など)
江戸時代中期の小説(草双紙/読本/洒落本etc)
徳川御三家/徳川御三卿
江戸時代の3大改革(寛政の改革など)
その他
吉原遊女のランク表(花魁など)
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