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- 酒井玄蕃(了恒)の家系図 - 酒井忠次の子孫
幕末に活躍した人物の中で、土方歳三などに勝るとも劣らない「イケメン」
として注目度急上昇中である酒井玄蕃(酒井玄蕃了恒)にまつわる家系図。
徳川四天王「酒井忠次」の末裔。
参考文献
一般社団法人荘内酒井歴史文化振興会 : 酒井家歴代当主
https://shonaisakai.or.jp/history/tadatsugu-sakai/
荘内日報社:郷土の先人
https://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/
酒井玄蕃の祖先/子孫
酒井家初代当主 酒井忠次 (1527-1596) |
戦国時代、家康に仕えた人物。 井伊直政・本多忠勝・榊原康政と並ぶ "徳川四天王"の1人。 |
二代目当主 酒井家次 |
酒井忠次の長男。 *一般社団法人荘内酒井歴史文化振興会HPの系譜図によると この人物の長男が三大当主の酒井忠勝。 その弟である「了次」のところに"酒井玄蕃祖"という記述 |
酒井了明 (酒井玄蕃了明) |
酒井玄蕃の父 |
お市 |
了明の妻 |
黒崎友信 |
酒井玄蕃の弟・研堂は黒崎家に養子入り。 その黒崎家における研堂の養父 |
酒井玄蕃 (酒井玄蕃了恒) 酒井了恒 げんば/ げんばのりつね |
1842年生まれ。 酒井了明の長男。 1968年に起こった戊辰戦争では、 20代半ばの若さで 庄内藩の二番隊トップとして活躍。 明治時代以降は新政府の依頼により中国偵察などを経験。 1876年に、結核により30代前半の若さで惜しくも死去。 俗称は「鬼玄蕃」。 近年、イケメン偉人として注目度沸騰中。 |
酒井調良 |
酒井了明の次男。 1848年生まれ。 酒井玄蕃(了恒)の弟。 黒崎研堂の兄。 農業科として生涯を過ごし、生前は「庄内柿」を開発。 山形農業界の偉人。 |
白井久井 |
1849年生まれ。 酒井了明の長女。 酒井玄蕃(了恒)・酒井調良の妹。 1868年(明治元年)に白井重垂と結婚して白井姓に。 しかし子供ができぬまま夫は3年後に死去。 嫁ぎ先の白井家は家系存続のため養子をもらい、その養子を育てた。 生前は教員として活躍 |
黒崎研堂 養子先 黒崎家の |
1852年生まれ。 酒井了明の三男。 酒井玄蕃(了恒)・酒井調良の弟。 16歳の頃には戊辰戦争に参加。 その後、黒崎家の黒崎友信に養子入り。 生前は漢学者・書家として活躍。 |
[配偶者] 白井重垂 |
酒井玄蕃の妹、久井の夫。 子供ができないまま3年経過した頃に死去。 |
子供世代
- 妹の久井には子供が存在。しかし養子のため、酒井玄蕃にとって実の甥姪ではない
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