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- 野坂昭如の家系図/人生年表(火垂るの墓作者)
ネットフリックスでの全世界配信スタートにより世界中で注目を浴びる
スタジオジブリ作品「火垂るの墓」原作小説の作者として知られる野坂昭如さんの人生年表や家系図。
節子のモデルになっているのは誰?
参考文献
ネットミュージアム兵庫文学館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a45/
新潮社:野坂陽子
https://www.shinchosha.co.jp/writer/6048/
野坂昭如ファミリーの家系図
野坂相如 (のさか・すけゆき) |
実の父。 役人で、政治家・作家としても活動。 生前は新潟県知事を務めた時期もあり。 1978年死去 |
野坂ヌイ (縫) |
実の母。 野坂昭如の出産直後に死去 |
張満谷善三 |
養父。 愛子の夫。 神戸在住。 輸入商社の重役を務めていた。 1945年6月の神戸空襲で死去。 |
張満谷愛子 |
養母。 そして野坂昭如の叔母。 (愛子はヌイの妹) 張満谷善三に嫁ぎ、神戸で暮らしだす。 善三・愛子夫妻には子供がいなかった中、 実の甥っ子である野坂昭如を養子としてもらう事に。 1944年には恵子という別の女の子も養子にもらう。 1945年の神戸空襲で大やけどを負う。 |
野坂昭如の兄 (名前不明) |
野坂相如・ヌイ夫妻の長男。 |
野坂昭如 |
1930年10月に鎌倉で誕生。 生まれてすぐに実母を亡くす。 その後、子供のいない叔母夫婦に養子に出され、夫妻の住む神戸に。 大戦末期には空襲に遭う。 その後、紆余曲折を経て作家になり 1968年に「火垂るの墓/アメリカひじき」で直木賞受賞。 2003年に倒れ、表舞台から姿を消す。 妻の介護を長く受けたのち2015年死去。 |
恵子 |
叔母夫婦のもとにやってきた二人目の養子。 野坂昭如と直接の血のつながりはない。 終戦直後に餓死。 「火垂るの墓」における節子のモデル。 |
[配偶者] 野坂陽子 (旧姓:野村暘子) [宝塚時代の芸名] 藍 葉子 |
野坂昭如の妻。 1941年生まれ。 東京出身。 1959年宝塚入り。 宝塚歌劇団で活躍したのち1962年、 野坂昭如と結婚の結婚を機に、わずか3年で退団。 結婚後、2人の女の子を授かった。 野坂昭如の晩年には、13年の介護を行う |
長女 野坂麻央 [宝塚時代の芸名] 花景美妃 |
1964年生まれ。 野坂昭如の長女。 東京生まれ。 1984年から1986年まで宝塚で活躍。 その後、テレビの世界に。 1995年に結婚し、1男1女を授かる。 |
次女 亀井亜未 (旧姓:野坂亜未) [宝塚時代の芸名] 愛耀子 |
長女の8歳年下。 1970年代前半生まれ。 1993年に宝面入団。 2007年結婚。 |
孫世代
- 長女・野坂麻央さんには2人の子(私人)
- 次女・亜未産の子供に関する公式情報はなし
野坂昭如ファミリーの家系図

野坂昭如さんのわかりやすい人生年表(1分でわかる)
小さな出来事/複雑な事を除いた、簡潔にまとめた年表です。
出来事 | 社会の出来事 (戦争/事件など) |
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1930年 | 10月に鎌倉で誕生。 直後に母を亡くす |
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1931年 |
神戸に住む 叔母(母の妹)夫妻に養子入り *夫妻には子供がおらず |
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1937年 |
神戸の小学校入学 | |
1939年 |
第二次大戦勃発 | |
1943年 |
小学校を卒業して神戸の中学校入り | |
1944年 |
生後間もない「恵子」 という女の子が 叔母夫婦2人目の養子となる *血縁関係はないが妹ができる |
|
1945年 | 6月の神戸空襲で義父を亡くす。 義母(叔母)も大やけどを負った。 妹の恵子は生存。 終戦後、妹を栄養失調で亡くす。 秋になり、血のつながりはない 義父の兄に世話になるべく 大阪の守口へ (そして現地の学校入り) |
3月から6月 神戸空襲(複数) 8月15日終戦 |
1947年 |
大阪の中学校を卒業したのち上京。 窃盗で捕まる。 年末、実の父に引き取られ新潟へ。 名字が野坂に戻る。 |
|
1950年 |
新潟の学校を経て再び上京し 東京の早稲田大学入学。 |
|
1954年 |
新潟に戻ったのち精神科入院 (アルコール中毒) |
|
1957年 |
早稲田除籍処分に。 この年から東京で作詞家として活動 |
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1960年前後 |
放送作家などとして活躍 | |
1962年 |
宝塚のスターであった女性と結婚 | |
1963年 |
「おもちゃのチャチャチャ」で 日本レコード大賞の作詞賞を受賞 |
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1964年 |
長女誕生 | |
1966年 |
小説家デビュー | |
1968年 転機 |
「アメリカひじき/火垂るの墓」で直木賞受賞 | |
1969年 |
歌手デビュー | |
1972年頃 |
次女誕生 (生年月日非公開のため正確な生まれ年不明) |
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1978年 |
父の野坂相如が死去 | |
1983年 |
父同様に政治家を経験 (参院選に比例で当選) |
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1988年 |
「火垂るの墓」が高畑勲によりアニメ映画化 | |
1989年 |
1月に昭和天皇死去 平成時代に |
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1990年 |
大島渚殴打事件を起こす *大島監督夫妻の結婚30周年パーティーに 友達として出席したが大島監督をいきなり殴り、 大島監督も殴り返し、ワイドショーで話題になる |
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1997年 |
吉川英治文学賞受賞 | |
2003年 |
脳梗塞で倒れる。 以降、介護を受ける生活に |
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2015年 |
年末に死去。 享年85歳 |
純粋な作家ではなく、あらゆる分野でマルチに活動する破天荒な人物であった
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