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紫式部の弟もしくは兄として知られる
藤原惟規(読み方=ふじわら・のぶのり)が生前に残した和歌や彼の歩んできた人生データ。
藤原惟規による和歌一覧
後拾遺和歌集収録
0466 *父(為時)が赴任している 越後/新潟に向かったものの、 あっという間に都の人々が 恋しくなってしまった、 というようなうた |
逢坂の 関うち越ゆる ほどもなく 今朝は都の 人ぞ恋しき |
0729 *下に折れた萱のように 落ち込んで過ごす毎日だ、 というような意味合い |
霜枯れの 萱が下折れ とにかくに 思ひみだれて 過ぐすころかな |
0764 *父の赴任先で重病にかかった中、 何とか生き延びたい、 というような思いをうたったもの |
都にも 恋しきことの おほかれば 猶このたびは いかんとそ思ふ |
藤原惟規の人生年表
年 |
惟規 | 関連人物 の出来事 |
950年頃 |
父の為時、 誕生 |
|
970年から 973年頃 |
姉とされる 紫式部誕生 |
|
974年頃 |
正確な年不明ながら この頃に惟規が 誕生したとされる |
|
幼少期 |
下流貴族の地位から 実力でのし上がるため しまいの式部と共に 父から様々な教えを受ける |
惟規よりさらに優秀な式部をみて 父の為時 「お前(式部)が男だったらなあ」 とぼやく。 |
986年 |
花山天皇の 追放により 父が失職 (そこから父は 10年間の不遇時代) |
|
996年 春 |
父の為時 「越前国」任命。 娘の紫式部も父に同行 |
|
1001年 |
姉妹の紫式部 「源氏物語」 の執筆開始 |
|
1005年 |
紫式部が 藤原彰子の女房として 宮仕えをスタート |
|
1011年 |
2月頃、 父と共に現在の 新潟に渡る。 しかし重病を患った中で 直後に現地で死去。 |
父の為時 「越後守」就任。 (新潟) |
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