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かつて5000円札の肖像画に描かれていた人物として知られる
新渡戸稲造の祖先/子孫データと家系図。
参考分圏
新渡戸記念館公式サイト
http://www.nitobe.jp/
十和田市公式サイトの各種既出
新渡戸稲造の祖先/子孫
伝助 | 維民の父 |
栄子 | 維民の母 |
新渡戸維民 | 傳の父。 1769年生まれ。 1845年死去。 |
秀子 | 維民の妻。 傳の母 |
新渡戸傳 |
1793年生まれ。 維民と秀子の長男。 岩手県の花巻生まれ。 1871年死去。 |
知恵子 | 傳の妻。 十次郎の母。 |
新渡戸十次郎 | 1820年生まれ。 新渡戸傳と知恵子の長男。 父同様に花巻出身。 1867年死去。 |
せき | 十次郎の妻。 |
太田練八郎 (太田時敏) もともと 新渡戸家 |
新渡戸傳の四男として誕生。 その後、盛岡藩士・太田金五郎に養子入りし、「太田」姓に。 のちに十次郎の息子・新渡戸稲造を養子とした。 |
新渡戸七朗 もとの名前 邦之助 |
1843年生まれ。 十次郎/せきの長男。稲造の兄。 盛岡生まれ。 晩年はトンネル工事の技術者として活躍。 1889年、46歳で病死。 |
道郎 |
十次郎の次男。 稲造の兄。 |
新渡戸稲造 養子時代は 太田姓 |
1862年生まれ。 十次郎の三男。 盛岡生まれ。 9歳の頃、叔父である太田時敏の養子となり上京。 東京大学や海外で学ぶ。 1889年に長兄の七朗が亡くなると新渡戸家に戻り、 名字も新渡戸に戻って新渡戸家を継ぐ。 1891年、メリー・エルキントンと結婚(日本語名=万里)。 翌年長男が誕生するが生後すぐに死去。 その後、甥っ子などを養子に貰い、血筋が存続。 |
メリー・ エルキントン (日本語名=万里) |
稲造の妻。 |
新渡戸遠益 |
稲造の実子。 1892年に誕生するも生後9日後に死去。 |
孝夫 |
もともとは稲造の甥っ子。 その後、稲造に養子入りして「息子」という続柄に。 |
こと (新渡戸こと) |
記念館公式サイトによると、 もともとは「稲造の姪の子」という続柄。 2世代下ながら、稲造の養女に。 *記念館公式サイトによると、この動きが「東京加藤家」の流れに。 |
加藤武子 |
稲造の孫。 (この人物の父母に関する公式情報はなし) 「マイグランパ」という稲造関連本を出版。 |
ひ孫世代
新渡戸常憲 | 青森にある 青森にある「新渡戸記念館」の館長。 (2024年時点) 稲造のひ孫。 この人物の父母に関する公式情報はなし。 |
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