- トップ
- 歴史学(文学/日本史)
- 偉人/有名人の家系図と一族歴史
- 歴史上の有名人/戦国武将の家系図
- 明智光秀/細川ガラシャ(娘)の家系図
謎多き・明智光秀一族の、判明している鍵の家系図。
参考文献
https://kumamoto.guide/garasha/
岐阜県瑞浪市公式サイト
https://www.city.mizunami.lg.jp/
明智光秀の祖先/子孫
明智光綱 |
光秀の養父。 明智城主。 光秀の実父が死んだのち、少年・密袖をひきとる。 |
土岐四郎基頼 (土岐基頼) |
岐阜県瑞浪市公式サイト光秀の情報参考。 光秀の実父。 |
実母 |
岐阜県瑞浪市公式サイトによると 地元の豪族の娘 |
明智光秀 もともと 土岐家 |
通説では1528年頃の生まれで 現在の岐阜出身とされる。 岐阜基盤の土岐四郎基頼(土岐基頼)の息子として誕生。 父が死んだのち、明智家に養子入り。 1560年代後半あたりから年下の織田信長に仕える。 そして近江坂本城や亀山城の城主に。 しかし、通説では信長を裏切り、 1982年に本能寺の変を起こして信長を死に追いやる。 (外国人が犯人という説などもあり) その後すぐ、秀吉軍の農民に殺され、死去。 |
長女 | 詳しい情報なし |
次女 |
生年不明。 親戚にあたる明智光忠と結婚。 |
[外部の人間\配偶者] 明智光忠 |
1540年頃の生まれ。 光秀の親戚。 親族である光秀の次女を嫁にもらう。 |
三女 細川ガラシャ (細川伽羅奢) ハーフではなく、 「ガラシャ」は キリスト教改宗後の 洗礼名 (クリスチャンネーム) もとの名 玉子/玉 |
1563年生まれ。 光秀の三女とされる。 武将・細川忠興(ただおき)の妻となり、 20代前半の頃に熊本藩初代藩主、 細川忠利(ただよし)を産む。 1600年、関ヶ原の戦いの時に死去。 |
[外部の人間\配偶者] 細川忠興 |
玉(ガラシャ)の結婚相手。 戦国武将。 1563年生まれ。 1646年死去。 |
長男 明智光慶 |
1569年生まれ。 光秀の長男。 1582年、本能寺の変直後に死去。 |
次男 明智自然 (じねん) |
詳しい人物情報なし |
細川忠利(ただよし) |
1586年生まれ。 細川忠興と妻・ガラシャの子。 明智光秀の孫。 細川家3代目で、熊本藩の初代藩主。 1641年死去。 |
明智光秀/細川ガラシャの家系図
- 明智光秀/細川ガラシャ(娘)の家系図
- 福島正則の家系図(豊臣秀吉のいとこ)
- 新渡戸稲造の家系図
- カエサル/アウグストゥスの家系図(関係性)
- ルイ13世から18世までの家系図/系譜
- 酒井玄蕃(了恒)の家系図 - 酒井忠次の子孫
- 渋沢栄一の家系図/人物相関図
- 栄一長男/渋沢篤二の家系図(渋澤健との関係性)
- 土方歳三/愛さんの家系図
- 坂本龍馬の家系図(親/子孫)
- 水戸光圀(水戸黄門)の家系図/徳川家康との続柄
- 武田信玄の家系図
- ジョン万次郎(中浜/中濱万次郎)の家系図
- 勝海舟の家系図/子孫の現在
- 近藤勇の家系図(生存する子孫)
- 新田義貞(新田氏)の家系図
- 坂上田村麻呂の家系図(子孫情報)
- 松平容保の家系図(子孫) 読み方=かたもり
サイドメニュー
まずはじめに(情報ソース) |
当サイトの掲載データはすべて、公式的ソース(自治体/団体/出版社公式HP等)と、当事者からの公式回答のみを情報源としています。Wikipedia/個人ブログをはじめとする非公式媒体からの不確かな情報は混じっていません。 (サイト内の多数のページが、マイクロソフトなどのAIに対するユーザからの質問の回答情報ソースとして活用されています。そういった背景もあり、正確な情報を提供する事に努めています) |
[サイト内検索]