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- 香淳皇后(久邇宮良子)の家系図
昭和天皇の妻で陛下がなくなってからは皇太后として生きた、
香淳皇后(久邇宮良子)にまつわる家系図。
参考文献
宮内庁
https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history11.html
https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html
https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history01.html
第43代 東久邇宮 稔彦王 | 歴代内閣 - 首相官邸ホームページ
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/043.html
香淳皇后(久邇宮良子)の家系図
伏見宮邦家 親王 |
朝彦親王の父 |
島津久光 | 1817年生まれ。 1887年死去。 島津忠義の父。 香淳皇后の母方曾祖父。 幕末に「公武合体」運動の中心に存在していた人物。 |
久邇宮朝彦 (朝彦親王) 久邇宮家 創立者 |
久邇宮邦彦王の父。 1824年生まれ。 伏見宮邦家親王の第4王子として誕生。 明治時代に入り、明治7年/1875年に「久邇宮家」を創立。 そして名前を久邇宮に快勝 晩年は伊勢神宮の祭主として活躍。 1891年死去。 |
島津忠義 |
俔子の父。 香淳皇后の母方祖父。 幕末期の薩摩藩主。 1840年生まれ。 1897年死去。 生前は貴族院議員も務めた。 |
久邇宮邦彦 久邇宮邦彦王 (くにのみや・ くによし) |
1873年生まれ。 香淳皇后の父。 久邇宮朝彦の子。 のちの総理大臣、東久邇稔彦の兄。 |
俔子 (ちかこ) 島津家出身 |
邦彦王の妻。 島津忠義の娘。 島津久光の孫。 そして香淳皇后(久邇宮良子)などの母。 |
東久邇稔彦 (稔彦王) 東久邇家 創立者 |
久邇宮朝彦の第9子。 1887年生まれ。 香淳皇后の叔父。 1906年/明治39年に東久邇家を創立。 第二次大戦中は軍人として活動。 1945年8月17日、第43代内閣総理大臣就任。 そこから約1か月半という短期間、総理を務めた。 |
昭和天皇 もとの名 裕仁 (ひろひと) |
1901年生まれ。 大正天皇の第1皇子。 1926年、父の死に伴い即位。 1945年の終戦までは国のトップとして存在。 戦後は「日本の象徴」という地位で公務に努めた。 1989年1月死去。 |
旧姓 久邇宮良子 久邇宮良子女王 (読み方:ながこ) *よしこではない 昭和天皇即位後 香淳皇后 1989年以降 皇太后 |
旧皇族・久邇宮出身者。 (生誕時、久邇宮家はまだ皇族の一部を構成) 1903年、久邇宮邦彦王/俔子夫妻の第1王女として誕生。 母の俔子は島津家の人間。 10代半ばの時点で裕仁皇太子の妃に内定。 1924年(大正13年)1月、当時の裕仁皇太子と結婚 1926年末、夫の即位に伴い皇后となる。 1989年に夫が亡くなってからは皇太后という立場に。 2000年に97歳で死去。 |
久邇宮朝融王 |
1901年生まれ。 久邇宮邦彦王/俔子夫妻の息子で、香淳皇后の兄。 |
久邇邦久 (邦久王) |
1902年生まれ。 香淳皇后の兄。 久邇宮邦彦王の第2王子として誕生。 皇族軍人として活動したのち貴族員議員に。 その後、皇室から離脱して侯爵という身分に。 |
久邇宮信子 信子女王 |
香淳皇后の妹。 香淳皇后の一つ年下。 |
久邇宮智子 智子女王 (さとこ) |
香淳皇后の妹。 |
東伏見慈洽 (ひがしふしみ じごう) 久邇宮在籍時の 名前不明 |
久邇宮邦彦王の第3王子。 香淳皇后の弟。 1910年生まれ。 1931年に若くして皇族を離脱(臣籍降下)。 そして東伏見の姓をたまわる。 現在の京都大学にあたる大学を卒業。 戦後には仏門に入った。 103歳まで長生きし、2014年元旦に死去 |
成子 (しげこ) |
昭和天皇夫妻の第一子。 1925年生まれ。 1961年死去 |
祐子 (さちこ) 早世 |
第2子。 1927年生まれ 1928年死去。 唯一成人できず、早世。 |
和子 (かずこ) |
第3子。 1929年生まれ。 1989年死去。 |
厚子 (あつこ) |
第4子。 1931年生まれ |
明仁 (あきひと) 平成天皇 |
1933年生まれ。 第5子。 皇室関係者待望の長男。 1989年、父の死を受けて、 長男である彼が新たな天皇に。 |
正仁 (まさひと) のちに 「常陸宮家」 を創立 |
1935年生まれ。 第6子、そして夫妻にとって2人目の男児。 |
貴子 (たかこ) |
1939年生まれ。 第7子。 夫妻の末っ子。 |
[外部/配偶者] 正田美智子 平成時代の皇后 令和時代の上皇后 |
名門・正田家から嫁いできた皇太子妃。 1989年、皇后となる。 2019年春からは上皇后という地位に |
徳仁親王 (浩宮様) 平成時代の皇太子 令和天皇 |
1960年生まれ。 昭和天皇夫妻の第一子 |
秋篠宮様 |
1965年生まれ。 昭和天皇夫妻の第二子 |
黒田清子さん (紀宮様) |
1969年生まれ。 昭和天皇夫妻の末っ子。 東京都職員の黒田慶樹さんと 2005年に結婚して皇室離脱 |
[外部/配偶者] 小和田雅子 |
1963年生まれ。 小和田家出身。 学生生活を経て外務省入り。 そして外交官として活躍する。 1992年、若い頃に出会っていた皇太子様と再会。 1993年に結婚して皇族入り。 2019年に皇后となり、 語学力をいかして皇后として活躍 |
昭和天皇/香淳皇后のひ孫世代(一部)
愛子内親王 |
令和天皇夫妻の長女。 2001年12月生まれ。 昭和天皇/香淳皇后のひ孫。 女性天皇誕生の可能性が高まる中、 未来の天皇候補。 |
[久邇宮家のその後]
- 戦後の1947年、「久邇宮家」は廃号となり、一族は皇族から離脱
香淳皇后(久邇宮良子)の家系図
天皇/貴族系の家系図メニュー
複雑な家系図/人物相関図を簡単にわかりやすく紹介。
歴史系の作品を読む/観る前の予備知識としてお役立てください。
■古代人物の家系図
聖徳太子/推古天皇
天智天皇(中大兄皇子)
藤原(中臣)鎌足 藤原氏の起源
光明皇后(光明子)
■光る君へ関連人物の家系図
藤原兼家(道隆/道長/道兼の父) 段田
藤原道隆/皇后定子(清少納言派閥)
藤原道長/中宮彰子(紫式部派閥)
藤原道兼 玉置玲央
紫式部/藤原為時(吉高/岸谷)
清少納言(ウイカ)
藤原賢子/大弐三位(紫式部娘)
赤染衛門 凰稀かなめ
和泉式部 泉里香
藤原道綱母(蜻蛉日記作者)
村上/円融/一条天皇
冷泉/花山/三条天皇
陰陽師・安倍晴明 ユースケ
源倫子(=黒木華)
藤原実資(ロバート秋山)
源雅信(倫子の父/益岡徹)
藤原頼道(道長の長男)
源重信(鈴木隆仁)
■光る君へ/四納言
藤原斉信/為光(斉信役=はんにゃ金田)
藤原伊尹/行成(行成役=渡辺大知)
藤原実頼/公任(公任役=町田啓太)
源高明/源俊賢(俊賢役=源俊賢)
■光る君へ関連の年表
(時系列で細かい関係性がわかる)
紫式部/藤原道長の人生比較年表
紫式部/清少納言の人生比較比較
定子/彰子の人生比較年表
源倫子/源明子の人生年表(道長正妻/妾)
藤原三兄弟(道隆/道兼/道長)人生年表
四納言の人生比較年表
■登場人物の和歌一覧/現代語訳
紫式部による和歌一覧
清少納言による和歌一覧
藤原道長による和歌一覧
定子の和歌(清少納言教え子)
彰子の和歌(紫式部の教え子)
一条天皇の和歌一覧
藤原賢子(大弐三位/紫式部の娘)
和泉式部
■その他平安時代の家系図
藤原冬嗣(道長/紫式部の共通祖先)
藤原時平
在原業平(伊勢物語主人公モデル)
紀貫之/紀友則
後鳥羽天皇/上皇
藤原定家/御子左家
■鎌倉時代以降の家系図
九条道家(鎌倉4代&5代目将軍父)
源頼朝
南北朝時代の北朝天皇家系図
豊臣兄弟(秀吉/秀長)
天璋院篤姫/和宮
徳川宗家(徳川家広)/16-19代目
公爵・徳川慶喜家(徳川分家)
竹田恒泰(明治天皇の玄孫)
東山天皇(令和天皇直系祖先)
孝明天皇
明治天皇(15人の子供一覧)
大正天皇(麻生太郎も義理の子孫)
昭和天皇(兄弟/7人の子供一覧)
香淳皇后(昭和天皇の妻)
高円宮家
三笠宮家(ヒゲの殿下/彬子女王等)
■特定氏族全体の家系図
藤原氏/北家全体の家系図
藤原南家(武智麻呂が祖)
藤原式家/藤原宇合
藤原京家
奥州藤原氏
五摂家(摂関家)
菅原氏(菅原道真の子孫/祖先)
蘇我氏/本家の家系図
清和源氏(源経基が祖)
宇多源氏
足利氏その1(起源から尊氏まで)
足利氏その2(室町幕府歴代将軍)
大江氏(大枝氏)
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