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姉妹ながら、少女時代より互いに強烈なライバル意識をもち、
切磋琢磨してきた歴史をもつ日本の偉大な世界的デザイナー姉妹「コシノ三姉妹」のうちの二人、
- コシノヒロコさん(長女)
- コシノジュンコさん(次女)
の人生比較年表。
無料の電子書籍/読み物として是非読んでみてください。
[補足]
- おっとりとした性格の末っ子のコシノミチコさんは、競争や上の姉妹2人との比較を嫌がってきた歴史をもつため、除外しています。
参考文献
ジュンココシノ公式サイト
ヒロココシノ公式サイト
東京コレクション公式サイト
その他テレビラジオでのご本人発発言
コシノヒロコ/コシノジュンコの基本プロフィール
コシノヒロコ | コシノジュンコ | |
本名/漢字表記 | 小篠弘子 | 小篠順子 |
母コシノアヤコ との続柄 |
長女 | 次女 |
生年月日 3学年の年の差 |
1937年1月15日 | 1939年8月25日 |
出身校 | 文化服装学院 | 文化服装学院 |
主な賞受賞歴 | ■毎日ファッション大賞 のグランプリ |
■装苑賞 ■フランス最高勲章シュヴァリエ |
パリコレデビュー 妹の方が早い |
1982年 *1993年からは 十数年間参加休止 |
1978年 |
パリコレ引退 | 2011年 第一期/第二期 合わせて12年間参加 |
2000年 (22年間連続参加) |
コシノヒロコ/コシノジュンコの人生比較年表
コシノヒロコ 関連の出来事 |
年 | コシノジュンコ 関連の出来事 |
1月に誕生 | 1937年 | |
1939年 | 誕生 | |
共通の出来事 戦時中に父が戦死 (以降、母と祖父母に育てられる) |
||
東京の 文化服装学院入学 |
1956年前後 (正確な年不明) |
|
1958年 |
東京の文化学院進学。 *ここで同級生の 高田賢三/松田光弘 などと出会う (通称「花の9期生」) |
|
自身が強く欲しがっていた 「装苑賞」を 妹が受賞し 強烈な悔しさを味わう。 (その後も自身は結局 「装苑賞」を受賞できず) |
1960年 妹が装苑賞受賞 |
若手デザイナーの登竜門 「装苑賞(第7回)」を受賞。 *姉ヒロコや学内のライバル 高田賢三を悔しがらせる *半年遅れて学内のライバル 高田賢三が第8回装苑賞受賞 |
文化服装学院卒業。 銀座小松ストアーの 婦人服デザイナーに。 |
1961年 |
|
1962年頃 (正確な年不明) |
文化服装学院を卒業し 姉同様に東京でデザイナーとして 活動しはじめる (銀座小松ストアーに自身の店) |
|
大阪に戻り 心斎橋に オートクチュール アトリエを開設 *キャリア初期は 既製服デザイナーではなく 注文服デザイナーだった |
1964年 |
賢三に先駆けてパリを訪問し、 大きな刺激を受けて帰国。 私生活では1度目の結婚。 |
1966年 |
|
|
のちにデザイナーとして 活躍する次女・ゆまが誕生 |
1968年 | |
1970年前後 |
当時のグループサウンズ ブームの中でタイガース などの衣装をてがけ、 姉に先駆けて国内で デザイナーとして大成功 |
|
1971年 | パリコレ参加に先駆け パリでの展示会を開催。 *まず国内で成功する事を 大事にしていたため パリコレ参加を急がなかった |
|
1975年 |
鈴木弘之と2度目の結婚。 彼のサポートを受け 国内でのビジネスをさらに強化 |
|
3年前に立ち上げられた TD6に参画し、 旧東京コレクションに 参加し始める |
1977年 | |
イタリアの ローマで開催される オートクチュールイベント 「アルタ・モーダに 日本人として初の参加 |
1978年 |
国内でトップに登りつめたのち 満を持してパリコレにデビュー |
1980年 | 夫との間に 長男・順之が誕生。 (のちに自身の会社幹部に) |
|
イトキンのバックアップを受け パリコレ既製服部門にデビュー *この時期から 既製服デザイナー として本格的に活動開始 |
1982年 | |
1985年 | 中国の北京でショーを開催 |
|
バブル崩壊に関連した 円高問題により 参加10年を機に パリコレ撤退を余儀なくされる |
1992年 |
姉はパリコレ撤退する一方 妹はパリコレで引き続き活躍 |
1994年 |
ベトナムでショー開催 | |
[1990年代半ば以降] パリコレ撤退後 国内の既製服事業に注力する中 試行錯誤を繰り返しながら ビジネスセンスを磨いていき 国内ビジネスが波動に乗っていく |
1995年 |
1995年、 ヴェルディ川崎(現東京V) の公式ユニフォームをデザイン |
1996年 | キューバでのショーを開催 (この国の歴史の中での 初めてのファッションショー開催) |
|
日本のデザイナー向け賞の最高峰 「毎日ファッション大賞」 のグランプリを受賞 |
1997年 | *本人は決して口にしないが 自身が一度も受賞したことのない 「毎日ファッション大賞」 グランプリを姉が受賞し 悔しい想いをしたと思われる |
2000年 |
同士の賢三氏が引退したのち 自身も22年参加してきた パリコレから引退。 |
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「大阪芸術賞」を受賞 | 2001年 共通の出来事 岸和田で三姉妹の ジョイントショー開催 |
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当時の小池百合子環境大臣 からのオファーを受け COOL BIZプロデューサー として活躍 |
2005年 |
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2006年 母・綾子死去 |
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2006年 |
「イタリア連帯の星」 カヴァリエーレ章受勲 |
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東京コレクション継続参加 |
2000年代後半 | パリコレからは引退したが 国内開催の東京コレクションに継続参加 [2009年] 「モンブラン国際文化賞」受勲 |
約15年の休止期間を経て 70代前半にして パリコレに再デビュー。 以降、2年間参加継続 |
2009年 | ミャンマーでショーを開催 |
2011年 共通の出来事 秋からNHKで母がモデルの「カーネーション」放送 コシノ三姉妹に脚光が当たる |
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パリコレから再び撤退。 2010年対以降は デザイナー業のほか 芸術家としての 活動も本格化 |
2011年 |
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ロンドン五輪手 体操日本代表の ユニフォームをデザイン |
2012年 |
|
神戸ファッション美術館 名誉館長就任 |
2018年 | |
2021年 |
パリでの長年の功績が認められ フランス政府より 最高勲章レジオン・ドヌールの中の 「シュヴァリエ」を受勲 |
デザイナーとしての実績はどっちのほうが上?
- 世界全体でみると20年以上パリコレに参加し続けてきたコシノジュンコのほうが、実績・知名度的に明確に上(姉・ヒロコは世界的認知度低め)
- 国内での実績という意味では、コシノジュンコは早いうちにパリコレ/東京コレクションから撤退して第一線から退いたのに対し、姉ヒロコは21世紀に入っても第一線のデザイナーとして活躍し続け、百貨店でもシニア層から高い支持を得ており、国内実績は姉・ヒロコの方が上
- 経営は夫や息子に任せてきた妹に対して姉は国内百貨店婦人服ビジネス界で大きな成功を収めてきた人物で、経営センスは姉のほうが上と評される