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- 宮沢賢治/保阪嘉内の人生年表(関係性が時系列で分かる)
日本を代表する童話作家の宮沢賢治、
そして彼にとって生涯唯一の「親友」だったとされる学友、保阪嘉内。
この親密な2人の人生を年表形式でわかりやすく紹介。
参考文献
花巻市公式サイト内の各種公開資料
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/index.html
韮崎市公式サイト内の各種公開資料
同人誌「アザリア」を創刊した主要4人基本データ
宮沢賢治 (宮澤賢治) |
保阪嘉内 ほさか・かない |
小菅健吉 | 河本義行 | |
出身地 |
岩手県 (現在の花巻市) |
山梨県 (現在の韮崎市) |
栃木県 (現在のさくら市) |
鳥取県 (倉吉市) |
生年 | 1896年 8月生まれ |
1896年 10月生まれ |
1897年 | 1897年 |
没年 | 1933年 (病死) |
1937年 (病死) |
1977年 | 1933年 (溺死) |
関係が深い 宗教 |
仏教 | キリスト教 | 不明 | 不明 |
人生で 経験した職業 |
教員 農業指導者 作家 |
軍人 公務員(教育系) 新聞記者 青年境域 などなど |
教育者 (農業分野) |
教員 |
子供 | ×いない 独身のまま死去 |
妻= 佐藤さかゑ (1991年死去) 享年87歳 長男=保阪善三 次男=保阪庸夫 |
不明 | 不明 |
思い描いてきた 理想郷 |
イーハトーブ | 花園農園 | - | - |
備考 |
学校卒業後は 教員/農業指導で 活動する一方、 作家活動も開始。 しかし生前は 作家として 成功できず。 戦後に 国門的な 童話作家に。 |
学校卒業後は 実に様々な職を経験。 一貫性がない とも揶揄される。 賢治の知名度アップ と連動して 賢治の作品に 大きな影響を 与えた親友として 注目度アップ。 |
栃木の農学校を卒業 したのち 盛岡高等能率学校 に進学して 賢治/嘉内らと出会う。 1918年に卒業したのち 渡米して アメリカ生活をおくる。 1920年代後半に 帰国してからは 農業分野の 教育者として活躍。 4人の中で 唯一のご長寿。 |
鳥取で生まれたのち 盛岡の農学校へ入り、 賢治/嘉内らと出会う。 盛岡の農学校卒業後は 故郷での農学校での 教員生活などを経験。 賢治と同じ年に早世。 (こちらは病気ではなく 海で溺れた仲間を 助けようとして 自分が死んでしまった) |
宮沢賢治/保阪嘉内の人生比較年表
年 | 宮沢賢治 | 保阪嘉内 | 関連人物/ 社会全体 出来事 |
1896年 (明治29年) |
8月 岩手中央部の 花巻市で誕生 |
10月18日、 現在の 山梨県韮崎市 (甲府盆地北西部) にあたる駒井村 で誕生。 |
|
1898年 |
妹のトシ誕生 | ||
1903年 |
小学校入学 (花巻) |
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1904年 |
日露戦争勃発 | ||
1906年 |
花巻市資料によると 10歳前後の頃に 仏教と出会う |
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1909年 |
寮に入り 花巻の北側にある 盛岡の、盛岡中学校 (現盛岡第一高校) 入学 |
[細かい時期不明] 甲府中学校在学中 クラークの愛弟子に学び キリスト教に興味を持ち出す。 また故郷の村長になり、 故郷を農村として 繁栄させる 夢ももちはじめた [銀河鉄道の夜に関連?] 中学生の頃、嘉内は スケッチブックに ハレー彗星に絡んだ 「銀河鉄道」を 連想させる絵を描いた |
|
1911年頃 |
中学3年生の頃、 浄土真宗の寺での 仏教講習会に参加。 これを機に 完全な仏教信者に。 |
||
1912年 |
盛岡中2年生の頃 岩手山に初登頂。 (以降、30回以上の 岩手山登山を経験) |
元号が 明治から大正に |
|
1914年 (大正3年) |
春に盛岡中学校卒業。 |
第一次世界大戦勃発 |
|
1915年 |
1月、 盛岡高等農林学校 (現岩手大学農学部) 農学科入学 |
中学を経て浪人生活 | |
1916年 (大正5年) 2人の出会い (嘉内が浪人 しているため 学年が違う) |
浪人生活を経て 山梨から岩手にやってきた 同じ年の 保阪嘉内で出会い、 寮で同質になり 急速に仲良くなる |
甲府中学校 (現甲府一高)を経て 浪人生活をおくったのち 盛岡高等農林学校 (現岩手大学農学部) 入学。 一年早く入学していた 同じ年の 宮沢賢治と出会う。 賢治とは寮で 同じ部屋となり、 特に親しくなった。 |
|
1917年 (大正6年) 同人誌 「アザリア」 相関 |
春、 清六が盛岡中学校に入り、 市内で彼と暮らしだす 7月、 保阪嘉内 河本義行 小菅健吉 と共に 同人誌を創刊 |
賢治たちと共に 同人誌を創刊 |
|
1918年 嘉内退学に |
2月、アザリア5号での 過激文章により親友の 保阪嘉内が退学ら (急な別れ) 3月、 盛岡高等農林学校卒業。 4月からは研究生に |
2月発行 「アザリア」 第5号における 文章が過激であると 問題視され 学校を退学処分に [退学後] 他の大学編入を目指すが 受験に失敗。 その後、東京暮らしを していたが母の死を受け 学問の道をあきらめ帰郷。 賢治とは退学後も 交流が続く。 |
アザリア 第6号で終了 (6語の詳しい 刊行時期は不明) 11月、 第一次世界大戦終結 |
1919年 | 帰郷したのち 年末から1年間の 軍人生活を経験。 |
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1920年 |
軍人生活、 そして山梨教育会 勤務を経て 実家を出る事を 考えていたが 手紙を通じて 賢治にとめられ、 思いとどまる。 |
||
1921年 再会/決別 |
7月、 嘉内と東京で再会。 しかし決別という結果に。 トシの病状をうけて帰郷。 数カ月後、 花巻農学校の教師に。 |
7月、東京上野の 帝国図書館で 親友・賢治との 再開が実現。 しかし宗教に対する 考え方の違いから 口論になり決別。 賢治=仏教 嘉内=キリスト教 の影響を 少年時代から 強く受けてきた という背景をもつ |
|
1922年 |
「春と修羅」を書き始める。 11月、 かわいがってきた 妹のトシ死去 |
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1923年 |
弟・清六を利用し 出版社への売込開始 (うまくいかず) |
関東大震災 | |
1924年 (28歳) |
詩集「春と修羅」 童話集「注文の多い料理店」 を出版。 嘉内のスケッチが 着想源になっている 可能性もある 「銀河鉄道の夜」を制作 |
山梨日日新聞社入り。 新聞記者に。 ここで「佐藤さかゑ」 という女性と出会い、 この同僚と結婚。 |
|
1925年 |
勤務していた新聞社を退社。 実家に戻り、 昔から夢見ていた 理想の農村作りに 再び動き出す。 |
||
1926年 |
3月、 農学校の教職を辞する。 4月から花巻での 独居をはじめる。 子供達への 童話読み聞かせを開始。 農業指導のための 法人も設立した。 |
||
1928年 |
急性肺炎にかかる | ||
1929年 |
世界恐慌が起こる | ||
1930年 |
病状がある程度回復した中 園芸に没頭 |
||
1931年 |
「風の又三郎」執筆。 |
農地を処分して上京。 東京暮らしの始まり。 武蔵野道場の 主任として活動し出す。 |
|
1932年 |
「グスコーブドリの伝記」 発表 |
5.15事件 | |
1933年 賢治死去 |
9月に死去 (享年37歳) |
アザリア創刊者の1人 河本義行が溺死。 若くして帰らぬ人に |
|
1934年 |
日本青年協会 を退職。 新しいビジネスを 開始するものの この時期に 胃がんを患う。 |
||
1936年 |
胃がんの悪化により 帰郷を決意。 東京を離れる。 |
||
1937年 嘉内死去 |
2月、 嘉内(かない)死去 享年40歳 |
時を経て2006年、2人の誕生110年を記念し市民団体「アザリア記念会」結成される。
そして嘉内の二人の息子は幹部に。
ニラ瀬崎市広報デジタル版によると、嘉内の息子二人と賢治の弟・清六の孫がイベントで共演した事もあり。
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