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- 江戸時代の3大改革比較(享保/寛政/天保) 何したか?
江戸時代の3大改革
江戸時代における3大改革として知られる
- 享保の改革
- 寛政の改革
- 天保の改革
それぞれの時代や内容などを寛太にわかりやすく表形式で紹介
江戸時代の3大改革の比較表
享保の改革 (きょうほう) |
寛政の改革 (かんせい) |
天保の改革 (てんぽう) |
|
時期 | 1716年から 1745年 (享保元年から 延享2年) |
1787年から 1793年 (天明5年から 寛政5年) |
1841年から 1843年 (天保12年から 天保14年) |
当時の将軍 | 徳川吉宗 (8代目将軍) |
徳川家斉 (11代目将軍) 1787年将軍就任 |
徳川家慶 (12代目将軍) 1837年将軍就任 |
行った人 (当時の役職) |
徳川吉宗 (8代目将軍) |
松平定信 (老中首座) 吉宗の孫 *他の家に養子入り した関係で名字は 徳川ではない |
水野忠邦 (老中首座) |
役職の 在任期間 |
将軍在任期間 1716-1745 *在任期間と 完全に被る |
老中(老中首座) 在任期間 1787-1793 *在任期間と 完全に被る *老中首座とは 老中の束ね役 |
1839年に 老中首座昇格 1843年 改革失敗と共に 幕府を追われる |
行うに至った 主な経緯 |
当時の幕政は 金銀の産出量低下などで ゆき詰まり状態に。 そんな中、 新たに将軍となった吉宗は 財政再建と税収アップに向け 自らの自己犠牲も伴い 様々な改革を行い始めた |
老中前任である 田沼意次時代 商業強化に努めてきた中 幕府の財政は危機的に。 さらに 1780年代半ばの 「天明の大飢饉」により 農村は荒廃。 そんな中 新老中・松平定信は 11代目将軍を全権を任され 農村の復興をはじめ 様々な構造改革に 着手する事になった |
天保4-7年にかけての 天保の大飢饉により 餓死者が続出したほか 治安が悪化。 そんな中、 老中の水野忠邦は 12代目将軍の命で 農村復興などに向け 様々な改革を行いだした |
主に行った事 |
■質素倹約の奨励 ■武芸の奨励 ■目安箱の設置 ■農作物の栽培奨励 ■新田開発 ■大名に対する 上納米の増加政策 (見返りに参勤交代での 江戸滞在期間を短縮させた) ■公事方御定書の制定 ■大奥美女の一斉解雇 (美女は大奥を出ても 生きていけるという論理) |
■質素倹約の奨励(贅沢禁止) ■武芸の奨励 ■朱子学以外の学問の禁止 ■飢饉に備えた米の備蓄 ■江戸に来た農民を故郷に返す ■公的な貸し付け制度の制定 ■出版物の規制 |
■質素倹約の奨励 (贅沢を過度に禁止) ■風俗統制 (歌舞伎界へのメス) ■出版物の規制 ■その他様々な分野の 娯楽を規制 ■物価引下げ ■株仲間の解散 ■人返しの令 (大都市にきた地方民を 故郷に返させた) ■上知令 (大名に対し強引に 領地を返納させようとした) |
改革の成果 |
〇新田開発などにより 農業が盛んになり 税収も増加 |
〇幕府財政は 赤字から黒字に転換 [悪影響] 娯楽/商業分野は大打撃 |
×急激な改革 過ぎたほか 民衆の意を無視した 改革だったため 反感を買って 2年で失敗 |
その他データ |
*祖父・吉宗による 享保の改革を手本に 改革を進めた *NHK「べらぼう」で 注目される 出版プロデューサー 蔦屋重三郎は 出版物規制の ダメージを受けた |
享保の改革・ 寛政の改革を手本に 改革が進められた |
質素倹約の奨励を行った点は共通
NHK「べらぼう」関連メニュー
登場関連人物の家系図
蔦屋重三郎
田沼意次・意知(親子)
松平武元
徳川吉宗/家重/家治(8-10代将軍)
人生・作品年表
山東京伝
滝沢馬琴(曲亭馬琴)
葛飾北斎
十返舎一九
関連用語
草双紙の種類(黄表紙など)
江戸時代中期の小説(草双紙/読本/洒落本etc)
徳川御三家/徳川御三卿
江戸時代の3大改革(寛政の改革など)
その他
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