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世界の服飾史のライバル関係の間でも、
特に「ライバル」として比較される事が多い2人の女性デザイナー、
- ココ・シャネル(フランス人)
- エルザ・スキャパレリ(イタリア出身)
の関係性が時系列でよきわかる人生比較年表。
2人に関する書物や映像作品を読む/観る前の基礎知識としてお役立てください。
参考文献
https://www.chanel.com/jp/about-chanel/the-founder/
ココシャネル/エルザ・スキャパレリの基本プロフィール
ガブリエル・シャネル | エルザ・スキャパレリ | |
国籍/出身 | フランス | イタリア |
愛称 | ココ | スキャップ |
生年 | 1883年8月19日生 | 1890年生まれ |
没年 | 1971年1月 | 1973年 |
婚姻歴 | なし | あり |
キーカラー | 黒 白 |
ピンク (ショッキングピンク) |
全盛期 |
1910年代 1920年代 1930年代 |
1930年代 1940年代 |
使道期間 | 1910-1971 (61年) *しかし1939-1954の 15年間は休業 (実質46年) |
1925-1954 (30年弱) |
ココシャネル/スキャパレリの人生比較年表
ココ関連出来事 | 西暦 | エルザ関連出来事 |
ソーミュール という地域で 行商人の父のもと誕生 |
1883年 | |
1890年 | イタリアのローマで誕生 | |
母が亡くなったのち ダメ人間の父親は 子供達を修道院などを預けて蒸発。 ガブリエルは 修道院で生活するようになる (12歳) |
1895年 | |
妹と共にムーランへ渡り 歌手活動をスタート (この歌手活動期に ここという愛称が誕生) |
1990年 | |
25歳 バルサンという富豪と出会う |
1903年 | |
パリへ渡ったのち バルサン支援の下で帽子事業を開始 |
1908年 | |
新たな恋人、英国人のカペルと出会う (バルサンと離別) |
1909年 |
|
新たな恋人支援のもと パリ中心部のカンボン通りに 帽子店「シャネル・モード」を開業 (この年が シャネル創業年度扱い) |
1910年 |
[1910年前後] 若い時期に一度結婚を経験。 |
フランス北西部のリゾート地 ドーヴィルに進出 |
1913年 | |
1914年 第一次大戦勃発 |
||
戦争で次々に男が兵士と 駆り出される中で 女が肉体労働を余儀なくされる中、 動きやすいジャージドレスが大ヒット |
1915年 |
|
ビアリッツに進出 | 1916年 | |
カンボン通り内で 店の場所を移動 [私生活] 愛するカペルとは身分などの問題で 結婚できない中でカペルは 別の女性(英国人)と結婚してしまう |
1918年 終戦 |
|
別の女性と結婚したあとも カペルとの関係は続いていたが、 そのカペルが年末に交通事故死 |
1919年 |
|
カペルの死で悲しみに暮れる中 親交のあるミシア・セールと その夫の旅行に同行し心が癒える |
1920年 |
|
香水「No5(5番)」が大ヒット |
1921年 | |
香水「No22」発表 | 1922年 エルザ、パリへ |
離婚してシングルマザーとなった中、 仕事をして家計を支えるため フランスのパリへ移住 |
1925年 | この年にビジネスをスタート |
|
「リトルブラックドレス」発表 大ヒット |
1926年 | |
1927年 | コレクション発表を開始 |
|
1930年 | 「スキャパレリ」 という店を開業 |
|
ハリウッド(アメリカ)での 衣装制作の仕事に進出 |
1931年 | |
デザイナーとしての全盛期。 3000人から4000人という たくさんの従業員を抱えていた |
1930年代半ば | 1930年代に入り、 7歳年上のココシャネルと 並ぶトップデザイナーに。 サルバドール・ダリなどの アーティストとのコラボも 積極的に行う |
人生2度目の大戦勃発。 香水部門などをわずかに残し メゾンを閉鎖 |
1939年 第二次大戦勃発 |
|
スパイ容疑の疑いをかけられ フランス国民の嫌われ者に |
戦時中 |
アメリカに避難 |
スイス移住 | 1945年 終戦 |
終戦後パリに戻る [カルダン] この時期、 同じくイタリア移民の ピエールカルダンが エルザのもとで働く |
自身は戦前に女性を解放する 創作活動を行ってきたが ディオールという新人が 女性の腰を再び 締め付ける作品を発表し 憤慨の心を募らせていく |
1947年 新世代の ディオール登場 |
|
生涯ただ一人の女友達 ミシア・セールを亡くす |
1950年 |
|
香水「No5」の愛用者である マリリンモンローの 「寝る時に纏うのはNo5だけ」 という発言は話題に |
1952年 | |
フランス(パリ)に戻る |
1953年 | |
前年に70歳を迎えた中 15年ぶりにパリモード界に復活 (降付き当初は"時代遅れ" などと作品が酷評される) |
1954年 ココ復活 /エルザ引退 |
メゾンを閉鎖し 創作活動から引退 |
のちにブランドの 象徴的なアイテムとなる ツイード製のレディススーツ発表 |
1956年 |
|
アメリカの栄誉ある賞 「ニーマン・マーカス賞」受賞し アメリカのダラスを訪問 |
1957年 |
|
香水「No19」発表 |
1970年 | |
死の直前までは働き続けていたが 1月に死去。 享年87歳 |
1971年 | |
1973年 |
エルザ死去 | |
絶対的にカリスマを亡くし 1970年代後半にメゾンは大きく低迷。 しかし1982年 ドイツ出身のカールラガーフェルドが 新デザイナーに就任してV字回復。 |
死後 | エルザの引退後、 メゾンは半世紀に渡って冬眠。 しかし21世紀に入って イタリア企業により復刻され 若手の手によりパリコレに参加。 再び栄華を極める |
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